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 ペンションを開いて、はや27年近く。( 2006年3月現在)
 リピーターの中には、もう孫などを、連れてくる人もあり、世代の移り変わりを考えてしまうこのごろです。
 こうなれば、若い子から、「おじいさん」と呼ばれてしまうのも近いかも、、、おちおち、できません。
 たまに古い、ファイルを引っぱり出し、若い写真に苦笑しながら、1980年の開業、(今から25年前ですよ)からの思いに耽ることがあります。
 夢中に、ペンションに青春をしてた頃を、振り返ってみます。

 手元にある、1番ふるい、ニセコのパンフレットには、『ヨーデルが聞こえるようだ』 のコピーが、表紙に踊っています。
 だぶんライターが、チロルの山岳リゾートと、イメージをだぶらせているのでしょう。
 確かに、隣町の蘭越町=サルツブルグ州サールフェルデン市、や倶知安町=スイス・サンモリッツという風にそれぞれ、スイスやオーストリアの町と姉妹関係をむすんでいます。
 JRニセコ駅のシャーレー(山小屋)風な雰囲気や雰囲気や、有島記念館の鐘塔からもそのイメージがしのばれます。
 日本人の、スイスやオーストリーにいだく、変わることのない人気や憧れを思えば、街の人々がこの町に抱くであろうイメージや期待なんかが想像できます。
 15年前の町のパンフレットは、夏場のニセコ体験をアピールしていて、まだ現役でも使えそうなのには驚き。 写真の人たちは、みんな長髪で若い。
 思えば、その頃ペンションのお客といえば、若い女の子ばかりだった。 
 どうして女の子しか来ないんだと嘆いたこともあった。これ、いつも使うペンション自慢の、話題です。
 その頃、ニセコのヒラフ地区で、「クレヨン」という手書きのアウトドアー情報新聞(確か3号ぐらいまで続いた)が、ペンションやロッジの仲間で発行された。その表紙から


 『・・草と風のにおいを少しでも多くの人たちに知らせたい。高原の緑の中、腕によりをかけて白いシーツでお待ちしています。』 
  夏のニセコにかける、みずみずしい気持ちが伝わってきます。

 その頃できた、ニセコアンヌプリ・ペンション村「ポテト共和国」のポスターから
 『感覚だね!ニセコ』  『パパはヤマべを釣りました。ママはテニスで真っ黒です。お姉さんは、ビキニを着ました。 ボクは、ファーブルになりました。 みんなキラキラしています』  
 という、コピーが、踊っています。
 ニセコは、普通の観光地とは、ちょっと違うよ、といったこだわりや、ペンションも、若い人から家族連れにターゲットを変えていったのがよく解ります。
 こんなパンフレットもありました。
『ニセコへの足がかり、その日暮らしの旅人、街のにおい・風のにおい、通り過ぎた人のまなざし』 『小さい旅に出よう 古ぼけたビロードの靴の底に ウォールトンの「釣魚大全」かなにか 人生案内の ちょいとコクのある奴を詰め込んで・・』 

 
ずいぶん前の、しまいこんでいた上着を久々に見る感じ、ニセコへ、また、これからの自分の店への思い込みが聞こえてきます。
 10年前のポテト共和国のパンフレットより
 

暖炉の炎に心がつながっていく時、善意でつきあえる人の出会いが心を広げ豊かにしてくれる・・・すばらしい環境には、いい出会いが生まれ、すてきな人が集まってくる。
 ニセコこそ、とっておきのリゾート。
 ここには、私をみたしてくれる自然がある
』 

 自然の中での暮らし、ほんものの生活、好きなことをできる暮らしなど、ニセコの理想がならべてたてられます。
 しかし暮らすということは、それだけで済むもんではありません。夢と変動する現実の間で、切り抜け、切り開いてきた、自分のニセコ物語。
 ここにきて、懐かしく、またほろ苦い思いを馳せるのでした。


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